突然ですが、私事で申し訳ございません。

2019/11/09

突然ですが、私事で申し訳ございません。

去る、10月26日に長男が永眠しました。

行年31歳、愛妻と5カ月半の愛息を残して、、、、

10月25日東京での出張を終えて、茨木の自宅への帰路につきますが、常磐線の不通のため、やむを得ず、東京の姉宅に一泊します。

翌26日、起きてこない彼を心配して、義理兄は起こしに行きますが、反応はありませんでした。

早く帰って、息子を抱き上げたい、、、、その願いが叶わなかった無念さを思うと、神や仏はあるのかという激しい憤りを感じます。

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実は、僕が今こうして焙煎に集中して、働いていけるのも、彼のおかげなんです。

焙煎がうまくいかず、苦しみ続けた結果、ある日の朝、突然店に行くことが出来なくなります。

店でコーヒーをお客様にお出しすることが、怖くて仕方がありませんでした。
カウンターの中で、じっと営業時間が過ぎるのを耐え忍んでいた日々が続いていました。

どうもがいても、足が動かづ、そのま家内に隠れるようにベットに潜り込み、引きこもりの日々が始まります。

そして、うつ病と診断され、知人から紹介された方から改善のプログラムを提案されます。

朝早く起き、日の出を浴びながら歩行して、その後腹式呼吸でお経をあげるというプログラムで、両方とも脳内でセルトニンが作られるプログラムでした。

朝早く起きること、そして外出して散歩することは、うつ病を患う者としてはハードルがとても高いものです。

しかし、彼が毎回同伴してくれることによって、奇跡的に継続することが出来き、病は快方に向かっていきました。

ある朝、眠くて気が進まないとき、しかも外は雨が降っています、雨だから今日の散歩は休もうと思っていると、二階の彼の部屋からトントンと彼が下りてきます。

起きなければ、、、起きて彼と歩こう!、、彼のけなげな行動が僕を揺り起こします。

当時中学2年であった彼は、夜型の高校受験勉強を朝型に切り替えることで、受験勉強と父親のサポートの両立を決心してくれました、、、

通夜と葬儀の時、会葬控室が満員で、別室まであふれた級友や同僚の方々から、

「彼に励まされ、勇気をもらいました。」
「彼が部活をまとめ、盛り上げてくれました。」
「彼は僕らのヒーローだったんです、、、」

と、異口同音に彼への賛辞をいただきました。

菩薩行、、、そう、彼の生き様は菩薩行そのものでした。

一瞬にして駆け抜けていった30年は、予定された彼の寿命であったと思います。

急ぐように次の課題に向かっていく彼の姿がみえます。

今後は、愛妻や愛息の成長を見守った後、再び多くの人を救い導くために、今世に生まれ変わってくると、僕は確信しています。

残された僕の使命は、焙煎に精進し、焙煎を極め、その結果を多くの焙煎に悩める方に導くことだと思っています。

そう!焙煎機の前に、そしてカウンターの中に再び立つことが出来きるようにしてくれた彼のために、、、、、

 

今後ともご指導ご鞭撻のほど宜しくお願い致します。

サードウェーブコーヒー   山本敦則

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