1990年代に、SコーヒーのSさんが中心になって立ち上げた、自家焙煎店が集うメーリングリストに参加した。当初は6~7人のメンバーであったが、あれよあれよという間に、北海道から鹿児島に至るまで、16~17人のメンバーが参加する所帯になった。
いま思えば、偶然ではなく、必然的にメンバーが集まったように感じる。なにか大きな力が作用したように、全員が惹きよされるように集まった。
.このメーリングリストのメンバーが母体となって、味方塾が発足した。単なる自家焙煎店の親父レベルから脱皮して、本気でスペシャルティコーヒーに挑戦する集団をめざして生まれ変わった。
スペシャルティコーヒーの基本であるカッピング、生豆までの生産プロセス、欧米の市場、ロースターの動向、産地の現状など多くのことを、学ぶために各分野のスペシャリストたちに講師をお願いして、全員が書生に戻ったつもりで無我夢中で学んだ。
しかし、その中で唯一、情報が不足していたのは焙煎の分野だった。
あたり前のことだった。
競争でたえず優位に立つためのキャステイングボードは、我々の世界にあっては、いの一番に“素材の確保”であろう。次に焙煎ノウハウだ。
焙煎ノウハウは十分に知的財産になりうるし、それ自体が商売の対象になる。
当時の欧米でも焙煎ノウハウは各社の機密事項であり、一般的に定まったノウハウが存在していたわけではない。新規の参入者はあれこれと試行錯誤を繰り返していて、我々と同じような立場であったと思う。
ただ、市場規模が拡大するにしたがって、当初は市場占有者間でノウハウは共有(独占)されるが、よりいっそうの市場拡大にいたって、機密であるノウハウは人を介して漏れ出す。漏れたノウハウはいち早く、市場で共有されることによって、検証され、合意され、一般的な焙煎ノウハウとして形成される。その過渡期に欧米はあったと思う。我々が現時点で共有している11~12分の短時間焙煎はその流れに他ならない。
この短時間焙煎が主流になる前に、ある講師から、スペシャルティコーヒーの焙煎メソドとしてレクチャーを受けた。
その要約をここに記すと、
●焙煎の工程を、前半を水抜き工程とし、後半を仕上げ工程として、二段階に分ける。
●全体の焙煎時間にはとらわれない。(=前半の水抜き工程の時間にとらわれない)
●前半の水抜き工程は、“いたずらに”釜の内部温度を上げることは避ける。
●水が抜けたサインを、豆の表情と匂いから、注意深く観察する。
●後半の仕上げ工程は、水抜けを確認したら、釜の内部温度をいっきに引き上げ、香味を十分に合成・発達させ、カップのバランスの良いところで落とす。
確か80年代、業界紙の裏表紙のトビラの広告欄に都内の某焙煎業者が、イタリアのビクトリアのWシリンダー焙煎機を紹介して“低温焙煎”を熱く語っていた記憶があるが、これと同系列と思われる。
******************************************
話を前回に戻そう、この焙煎ノウハウは僕も含め多くの仲間が何度となく試みたが、上手くいかないために結局のところ、現時点では無視するか、今後の検証課題として封印して、11分~12分の短時間焙煎が主流になっている。
読者の中で、同じような経験を経て、同じような短時間焙煎に落ち着いている諸兄も多いと思う。
短時間焙煎の魅力は何よりも、ボリュームのある酸がもたらす、いきいきとしたカップにある。水抜けさえ上手くいっていれば、後半の内部温度も十分に上がっているために、フレバー、マウスフィール、スイート、アフターが格段に向上する。
しかし、この季節に及んで、水抜けがにわかに悪くなってくると、トータルとして85点台だったものが全ての項目で1点減点で、70点台のカップになり愕然としてしまう。あれほど上手くいっていた焙煎が突如としておかしくなるから、水抜けの恐ろしさは計り知れない。
このように、水抜きの重要性を再認識すると、講師から指導いただいたメソドの重みは増してくる。時間の制約から解放されることによって、季節に応じて水抜けを臨機応変に対応することができるからだ。
しかし、この焙煎メソドは時間を無視するがゆえの欠点を内包している。
時間にとらわれないため、水抜け工程に主眼を置いていると、全体の焙煎時間が長引く傾向があり、酸量の減少という致命的な結果を招く。そして、多くの焙煎機がそうであるように、前半(水抜き工程)が低い温度で長引けば、長引くほど後半(ドライディスティレーション)の段階での釜の内部温度が不足してしまう。結果として酸量の減少と進化不足は生命感の欠如した、魅力のないカップとなってしまう。
短時間焙煎の工程をみてみると、焙煎機にもよるが、ファーストクラックの時点で、排気温は220~230度位になっている。焙煎中、豆の表面温度の進行だけに集中していると、このことは見落としがちだが、この温度帯がドライディスティレーションをしっかりと進行させる温度帯だと思う。
短時間焙煎であっても、前半にもたついていて、この温度帯の手前でファーストクラックを迎えた場合はカップの印象度は落ちる。
そして、工程を意識しない漠然とした14~16分の焙煎は、ファーストクラックの時点で210~215度台に落ち着いているために、カップの印象はいっそう落ち、明るさが欠如してくる。
この結果から、水抜きの前半時間が季節によって長引いても、後半に釜の内部温度がいっきに十分な温度帯になっていれば問題は解決するわけで、ガス圧の容量を増やすか、バーナーの増設というハード面での改良でほぼ解決する。ただ、トータルとしての焙煎時間が長くなればなるほど、酸量のスポイルが多くなるという欠点はいぜん残る。
***********************************************
(以下、短時間焙煎と区別するために、講師からご指導いただいた焙煎メソドを“恩師のメソドと記す)
僕が試みた(恩師のメソド)を具体的な数値で説明しよう。
別の熱源を確保したバーナーの増設によって、水抜けのポイント時点の排気温が195度、豆の表面温度が163度である状態から、いっきにフルバーナー(全開)で釜の内部温度を上げると、1分後に排気温が215度、豆の表面温度が170度、2分後に排気温が230度、豆の表面温度が180度となる。
水抜けから2分間の間に、豆温が17度上昇するするが、それ以上のペースで釜の内部温度は35度上昇する。もちろんこの間にファーストクラックを迎える。水抜きが成功していれば、テロワールが明確に現れ、甘さも、滑らかで心地よいアフターも出てくる。もちろんクリーンで明るい。
バーナー増設前の場合、2分後に排気温を215度~220度にするのが精一杯だった。その時点でも若干のバーナー増設(3本)と投入量の減量(3.5kgから2.5kg)でカバーしていたから、市販の国産焙煎機ではこの焙煎メソドは無理と思う(短時間焙煎もだが)。
今の季節ではどうしても、このメソドではトータルとして最低13~14分かかってしまう。同じ表面温度の焙煎豆の場合、11分の短時間焙煎のほうが、酸のボリュームがもたらす、いきいきとした存在感はより魅力的だ。
ただ、7分ほどのタイトな時間に水を抜かなければならないから、この季節、かなりシビアな温度管理が必要とされる。ほんのわずかな誤差は豆の芯に水を残し、結果として酸量の恩恵はあだとなってしまう。
短時間焙煎のボリュームある酸がもたらすいきいきとしたカップにこだわる場合、季節の変化に合わせて、水抜きをどう対応させたらいいのだろう?もちろん時間の延長は許されない。