ストラクチャの構築は,水が抜けたら内部温度を一気に、ある一定温度に上げることによって、達成されることが確認できました。
それに対して、一般的になされている通常の焙煎は、最終段階の内部温度を意識することなく、全体の時間と豆温度の管理を主眼としているため、結果としてドライディステイレーションの段階において、釜の内部温度が不足してストラクチャの構築が十分になされない欠陥がありました。
両者を比較してカッピングすると、風味の重層性において、圧倒的な差が出ます。
特に、フレンチプレスで抽出すれば、その差は一目瞭然(一口瞭然?)です。
ストラクチャを風味の重層性と表現しましたが、通常の焙煎はこの風味の重層性に欠けた薄っぺらいカップになるわけです。
しかし残念ですが、むしろ現在の一般的な消費者の嗜好は、こうした風味の重層性に欠けたものを好む傾向があるように思います。
アサヒのスパードライがビール売り上げのシュアでトップになって久しいのですが、このことは時代をまさに象徴していると思います。
”飽食の時代”と言われて久しいのですが、それによって消費者が、軽く・当たり障のないものを求めているという解釈は分からないわけでもないのですが、どこか釈然としません。
そもそも、ビールの原材料である麦芽やホップはビールの味の重層性を構築するのが目的であり、スーパードライは本末転倒してしまっています。原材料の割合からビールの範疇に至らないサントリーの金麦のほうが、よほどビールらしいと思うのは僕だけでしょうか?
「すきやばし次郎」店主、小野二郎氏は「すしのうまさはネタやシャリの香りが命。口に入れたら香りを鼻で抜かないと、舌だけでは本当のうまさは分かりません。」と、まさに味の本質、すなわち風味の重層性を強調しています。(文藝春秋4月号)
氏は受動的に香りを感じるのではなく、意識的に香りを鼻に抜いて、うまさを吟味する玄人の所作を言っているのですが、これは僕たちのカッピングにおけるフレバー、アフターの項目と一致します。
個別項目のクリーンやアシディティ、スイート、マウスフィールを統合して、カップの印象度を良くも悪くも最終的に決定するのはアフターであり、フレバーであると思います
口から鼻腔に抜けていくフレバーが持続しながら、いきいきとした明るさがあり、甘さやなめらかさとともに心地よくフィニッシュするアフターであれば、それはまさに高得点になり、そこにテロワールを彷彿とさせるコンプレックスがあれば,もう90点以上は間違いなくいくと思います。
まさに口から鼻腔へと“持続するフレバー”が風味の重層性の核をなし、印象度をアップしているのです。
先ほどのスーパードライに戻りますが、ドライを優先させるとリッチ=風味の重層性は犠牲にしなければなりません。ビールの醸造ノウハウは詳しくはわかりませんが、ドライとリッチの相関関係は焙煎と醸造も同じような原理になると思うのです。
しかし、ドライでも出来立てであれば、イキイキとした風味はあるわけで、スーパードライの導入期には切れの良い後味と、フレッシュさがゆえの風味の魅力が感動をもって受け入れられたと思います。
しかし、ドライがゆえのか細い風味は時間の経過とともに、悲しいほど劣化してしまいます。アサヒが鮮度を非常にこだわるのは、この最大の欠点を認識しているためです。
スーパードライの生命線はドライが故の欠点、風味の薄さを鮮度でカバーできるかどうかなのです。
スペシャルティコーヒーがスペシャルテイであるためには、意図的な風味の重層性を構築する焙煎工程が必要であり、恩師のメソドはそのことを意図した焙煎でることがおわかりいただけると思います。
その要諦は低い温度で(あくまでも相対としてです)水を抜いて、水が抜けたら一気に釜の内部温度を上げて、ドライディスティレーションを完成させることなのです。
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中華やイタリアンは香味野菜を多用しますが、これらはほとんどオイルに香りを移す目的で使用されます。
たとえば中華の炒め物では、鍋を熱し油を落としたら、ニンニク、生姜、長ネギなどをタイミングを見計らって加え、香りを油に移します。
またイタリアンであれば、パスタにしろメインデイッシュにしろ、ソースはまずもってオリーブオイルにニンニクや香草の香りを移すことから調理は始まります。
味のベースになるオイル分に香りを移すことによって、フレバーによる料理の厚み=重層性を出すことを意図しているのです。
特にニンニクの香りはメインの食材の風味をより重層的にする効果があると思います。
今回はストラクチャの構築用件の考察から、いきなり脱線してしまいましたが、その意図はご理解されたかと思います。
次回からは、再び水抜きの工程に移り、最近発見したクリーンのピンポイントを考察してみます。