低温焙煎の進化Ⅱ

これまでの低温焙煎の進化を説明します。

【前半の水抜きの工程】

前半で効率よく水を抜くポイントは、釜の内部温度を一定にすることにつきます。

加熱した釜に豆を投入して、釜の内部温度のボトムが180℃になったら、それ以後180℃を維持して変化させずに一定に保つということです。

内部温度を一定にしても、思いっきり加熱した釜の余熱の勢いで、豆の表面温度は上昇していく原理で、火力によって上昇させていく原理とは異なることが、低温焙煎の真骨頂です。

投入から豆の表面温度が167℃に至るまでの時間を、7分から11分の間を1分刻みに、ぴたっと一致するように、投入時の釜の内部温度の高低差を調整します。

これが至難の業で、実際はガス圧を微妙に操作して、ペースをコントロールすることになります。

投入時の釜が熱すぎたり、投入の生豆の温度が高かったりすれば、豆の表面温度のボトムは高くなって、それ以後早く進行してしまいます。

これを修正するにはガス圧を下げて、その結果、釜の内部温度を下げることによって、ペースを遅くします。

本来は180℃に維持しなければならないのに、175℃近辺までに下げてペースを修正するわけです。

しかし、その175℃から上げるタイミングを失すると、今度はペースが後手にまわって、慌てて釜の内部温度を185℃近くまで上げて、ペースを修正します。

このように実際にはドタバタと釜の内部温度を上下させてペースを調整することになるわけですが、このことが水抜けの良否を微妙に左右することになるようです。

特に、昨今の季節は変化が激しく、寒さと暑さが目まぐるしく変化し、前半のペースの調整に苦労します。

このドタバタを防ぐためには、豆の投入前の段階での釜の余熱の設定温度を、投入する生豆の温度から逆算します。

豆の種類ごとに、生豆の温度と投入温度の相関関係を年間を通して記録していけば、ほぼ予定通りのペースをトレースできます。

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このように、低温焙煎の前半の水抜き工程は、まさに釜の余熱で水を抜いていく工程といえます。

釜の内部温度のボトムが180度になったら、この温度をごく小さなガス圧を維持しながら保って、豆の表面温度を上昇させていくこのですから、釜の余熱が第一で、ガス火は余熱を維持するようなものです。

例えばフレンチローストの場合、15分内に焙煎を完了させるためには、投入から7分で豆の表面温度が167度に至らせて、8分40秒前後に水抜きを完了しなければなりません。

もちろん釜の内部温度のボトムを180℃として、それをずっと水抜けまで維持することが条件ですから、おもいっきり釜を加熱して、投入します。

しかも、5Kg釜に2Kg以下の生豆投入ですから、火力がすこしでも強いとあっという間に進行してしまいます。ごく弱い火力で、釜の内部温度が180度に至り、それを維持すると、上記のペースをトレース出来ます。

中煎りや浅煎りも釜の内部温度は180℃で一定にして、尚且つ投入から167℃に至るまでの時間を1分ごとに変化させていくことですから、前半の水抜き工程は投入時の釜の余熱差で水を抜いていく工程といってもさしつかえないとおもいます。

過去、故襟立さんが考案した、遠赤外線先行型焙煎機で焙煎をしていたことがありますが、この焙煎機こそこの原理を踏んだ焙煎機であったと最近理解できました。

当時考案者の襟立さんの息子さんが札幌市内で、「リヒト珈琲店」を経営していて、そこのコーヒー豆を柴田書店の編集者がいたく感動して、何回か喫茶店経営に紹介していたときがありました。

ぼくも同じ焙煎機で悪戦苦闘していましたから、さっそく豆を購入して、カップしましたが、雑味のないクリーンな味わいに驚きました。

今思えば、このクリーンさは低温焙煎のカップと同類で、アフターの歪な雑味がないものです。

すぐに息子さんに焙煎ノウハウを教えて頂くことを、乞うたことは勿論です。

息子さんも気軽に教えてくださり、その焙煎ノウハウがそれ以後の僕の焙煎ノウハウのバックボーンとなっています。

この遠赤外線焙煎機は東京の富士珈琲機械製作所の3.5Kgバーンズ型焙煎機に、ガスストーブ用のバーナーを、焙煎機サイドに備え付けたものでした。

当時はこのバーナーの遠赤外線が水ぬきに寄与して、上手く焙煎が出来るとイメージされていました。

息子さんに教えて頂いた焙煎ノウハウは、遠赤外線バーナーとシリンダー本体下のメインバーナーの火力をごく弱めて投入し、豆が黄色から薄茶色に変化したら、遠赤外線バーナー・メインバーナーとも火力を全開にいして、一ハゼが始まったら両バーナーの火力を落として、釜出しのタイミングをはかるというものでした。

このノウハウで焙煎を試行錯誤していくと、投入からの操作で、遠赤外線バーナーを強めに、そしてメインバーナーを弱めにして、進行ペースを同等に維持した焙煎は、遠赤外線バーナーを弱くし、メインバーナーを強くした焙煎よりアフターがすっきりとしたものになりました。

そして、この関係をさらに進めていくと、ある時点でカップがスカスカになり風味特性が全く感じられないものになりました。

これは、通常の焙煎機で低温焙煎をだらだらと時間をかけたものと符合します。

焙煎機本体のサイドに備え付けられた遠赤外線バーナーは、ほぼ密閉された箱に入れられていて、バーナーの火力がシリンダー内に取り込まれるというより、むしろ焙煎機全体をサイドから暖めている構造と捉えるのが正しいと思います。これは遠赤外線バーナーが“釜の余熱”を作っていたと解釈できます。

余談になりますが当時、故襟立さんのオリジナル遠赤外線焙煎機は、大阪の難波駅の近くの“山本館”という喫茶店にあることを、商社経由で突き止め、伺ったことがあります。

当時は、シリンダーの前半部分を網目の直火式で、後半部分を鉄板の半熱風式にして、それに対応するように下のメインバーナーを前半部分と後半部分に分けているものや、オリジナルの1本バーナーから2本バーナーにして、それを前半と広半に分けるもの、、、、といったようにいくつかのバージョンがありました。

オリジナルの焙煎機を見て、どのよううに進化しているのかを知りたい一念があったわけですが、故襟立さんのオリジナル遠赤外線焙煎機はごくシンプルで、従来のバーンズ型直火焙煎機に、ガスストーブ用のバーナーをサイドにくっ付けたものでした。

しかも、その遠赤外線バーナーはぺったんと、シリンダーサイドにくっ付けたもので、弁当箱のようなものとは違っていました。

これは、遠赤外線の燃焼効率から、弁当箱型に改良されたものと考えられます。