ブラジル カップオブエクセレンスⅠ
カップオブエクセレンスの源流は、1999年にジョージ・ハウエル氏の提唱で開催されたブラジル・カッピングコンペティションにまでさかのぼります。広大なブラジル国土から珠玉のようなコーヒーを見つけ出すことは困難ですが、これを可能にしたのはこのカッピングコンペティションがブラジル・カップオブエクセレンス(COE)として引き継がれてからです。特にカルモデミナス地区とその周辺の小地区から珠玉のようなコーヒーが次々と現れて、世界のコーヒー業界に衝撃が走りました。
その後も、次々に新たな地区の意欲的な農園が発見されます。まさにジョージ・ハウエル氏の卓見がブラジルの復活を導いたと思います。
その後も、次々に新たな地区の意欲的な農園が発見されます。まさにジョージ・ハウエル氏の卓見がブラジルの復活を導いたと思います。

ブラジルカップオブエクセレンスⅡ
1997年にICO(国際コーヒー機構)の委託によって、ITCグルメコーヒープロジェクトが発足しました。高品質のコーヒーの生産方法を開発し、発展途上国の経済的自立を促進するためにはどうしたらよいかを具体的に模索するためで、対象国としてエチオピア・ブラジル・ウガンダ・ブルンディ・パプアニューギニアが選ばれました。そしてそれを具体的に運営するマーケティングコンサルティングが3名選ばれ、ジョージ・ハウエル氏もその一員でした。
このプロジェクトの下、BSCA(ブラジルスペシャルティコーヒー協会)を窓口に、1997年に生産されたブラジルのコーヒーサンプルを、SCAA(アメリカスペシャルティコーヒー協会)のメンバーに送りましたが、全てのロースターから「風味特性がない」ということで、取引を拒否されました。
このような結果になった理由は3名のコンサルタントには、明確に分かっていました。それは従来のブラジルのコーヒー品質評価が“欠点チェック方式”で、コーヒーのネガティブな面をあら探しばかりして、コーヒーの美味しさをポジティブに評価できない評価基準だったからです。
このプロジェクトの下、BSCA(ブラジルスペシャルティコーヒー協会)を窓口に、1997年に生産されたブラジルのコーヒーサンプルを、SCAA(アメリカスペシャルティコーヒー協会)のメンバーに送りましたが、全てのロースターから「風味特性がない」ということで、取引を拒否されました。
このような結果になった理由は3名のコンサルタントには、明確に分かっていました。それは従来のブラジルのコーヒー品質評価が“欠点チェック方式”で、コーヒーのネガティブな面をあら探しばかりして、コーヒーの美味しさをポジティブに評価できない評価基準だったからです。

ブラジル カップオブエクセレンス Ⅲ
そして1999年、コンサルタントとしてジョージ・ハウエル氏は苦渋の決断をします。プロジェクトの最終予算を使って、ブラジルにおいてカッピングコンペティションを開催しました。
カッパーは当時スペシャルティコーヒーを評価できるカッパーを招聘し、従来のブラジルクラシフィカドール(コーヒー鑑定士)を全て排除したコンペティションでした。ブラジル全土の農園からおよそ350ロットが出品され、それを当時の審査評価の方法で、ベスト10を選出しました。そしてそれをインターネットオークションに懸けることを、コンサルタントのスージー・スピンドラー女史が提案して、結果は大成功に終わりました。
これが現在、世界で最高の品質オークションとして高い評価を受けている「カップ・オブ・エクセレンス COE」の源流です。