サードウェーブコーヒーについて

81年より自家焙煎を始め、90年台から、米国のスペシャルテイコーヒーを学んできました。
産地のこと、カッピング評価のこと、焙煎のこと、抽出のこと,,,,,日本で学んできたことと、真逆のことばかりで、とまどうことばかりでした。

90年代はちょうど、米国のセカンドウェーブの流れが日本にも押し寄せて、スターバックスやピーツ(後に撤退)が開店し、その高品質なコーヒーに圧倒されました。羨望と焦りを感じて、必死に勉強した時代でした。

一方、そのころの米国では、サードウェーブの流れが静かに勃興して、そのうねりが大きくなっていく時代でもありました。

このセカンドウエーブからサードウェーブへの進展は、
師匠たるエスプレッソの本場イタリアンスタイルの模倣というセカンドウェーブから、
コーヒー本来の本質に迫る活動というサードウェーブに止揚していく過程として捉えることが必要です。

コーヒーの品質領域だけではなく、生産国における様々な問題を改善する方策や、 生産システムの地球環境保全も含めた世界的な大きなテーマも含めて進展してきます。

そして現在、米国のサードウェーブの大きなうねりは日本にもやってきました。

サードウェーブもセカンドウェーブ同様、カフェの提供スタイルなどに着目して、その特徴を定義する傾向があります。

両者の提供スタイルを比較することによって、その進展を把握しようと試みるわけですが、それは本質ではありません。

ファーストウェーブからセカンドウェーブ、そしてサードウェーブへの進展過程はコーヒーそのもの中身と、
コーヒーの生産国が抱える課題や地球環境保全も含めた進展として捉えることが必要なのです。

自家 焙煎を始めて37年、その悪戦苦闘の日々は、世界的なコーヒールネッサンスというべき革新的な時代でもありました。

必死になってもがきながらも、それらの本流にいて、ダイナミックな変革を体験できたことはとても幸運です。

今ここに、コーヒールネッサンスの渦中にあった者として、その流れをまとめてみます。

ファーストウェーブ・第一世代のコーヒー

先の大戦後、1950代から1960年代に、アメリカのコーヒー消費量は増加を続け、62年にはコーヒーの一人当たりの飲用杯数はピークに達します。

なんと、一人が一日に飲む杯数は3.12杯!

なんだそれだったら、日本のコーヒー党だって、このくらい飲むのはザラじゃないか・・・・と思いますが、何しろ全米の飲用者の平均値ですから、その総消費量は半端ではありません。

家庭とオフィスでの消費増大がその主因であり、まさにコーヒーがアメリカの国民的飲料であったことを証明しています。

ちょうどこのころを象徴してファーストウェーブと呼びます。

ファーストウェーブコーヒーについて

真空パッケージの開発・普及と、大量生産・大量消費のムーブメントに乗って爆発的に消費が拡大した時代でした。

ところがその後62年をピークにして、坂を転げ落ちるように、消費は衰退の一途をたどります。

飲用率は、62年の75%をピークにして、徐々に逓減していきます。75年62%、85年55%、で95年では47%まで落ち込みます。
これは62年にはアンケートで、100人中75人がコーヒーを飲んでいたのに、95年には47人に減少していることです。

また、一人が飲む一日の平均杯数も62年の3.15杯から95年の1.67杯にまで落ち込んでいますので、アメリカのコーヒーの消費量は激減していることがわかります。

多くのアメリカ国民がコーヒーを飲まなくなってしまったのはなぜでしょう?

理由は至極簡単で、コーヒーが不味かったからです。

ファーストウェーブコーヒーについて

当時はフォルジャーズ、ゼネラルフーズといった大手メーカーが、低価格で市場の占有を争っていました。そのおかげ(低価格)で家庭や職場に広く普及したわけですが、厳しい価格競争はやがて限界が来ます。

コスト低減の努力が限界に至ると、彼らは原材料に手を付け始めました。

品質よりも、より安い原材料の調達競争に入っていくわけです。

80年代の初め、僕が自家焙煎を始めたころ、商社の方から伺ったのは、生産国の優良品はそのほとんど(まだグルメとかスペシャルティコーヒーの言葉もなかった頃です)がヨーロッパに輸出され、その次は日本に、そして、粗悪品はアメリカに輸出されている、ということでした。

アメリカのメーカーがとにかく、安く買いたたいた結果であったと思います。

その結果、コーヒーが不味いいものとなって、消費の減少に拍車をかけます。

この消費量の減少に伴う市場の縮小の中で、熾烈な販売競争は、より一層の低価格・低品質競争に突入していきます。

ファーストウェーブコーヒーについて

そんな状況の中、アメリカのコーヒー市場に嫌気がさした焙煎業者が出てきます。
欧州のコーヒーのスタイルを今一度学びなおし、それを再現しようとする流れが始まるわけですが、その根底には今一度原点に返って、コーヒーの品質を学ぼうとする姿勢があるわけです。
アルフレッド・ピートがカルフォルニア・バークレーに《ピーツコーヒー&ティ》を開店、そのピーツの信奉者が集まって、シアトルに《スターバックスコーヒー》が創業されます。
また、ジョージ・ハウルがボストンに《コーヒーコネクション》を開店します。
セカンドウェーブの勃興です。
価格競争ではなく、品質で競争をする新しいウェーブの始まりです。